母のお裁縫箱をもらった。
少しずつ遺品を整理していて
小物があれこれある中で
私にとって一番懐かしいと思えるものだった。
お裁縫箱は、竹を編んで作ったふた付きのかご。
ずいぶんな年月を経ていて、味のある色合いがとてもよい。

母がまだ子どもの頃だから75~80年くらい前に
自宅の奥に間借りをしていたご家族からいただいたものだそう。
母が暮らしていたのは、養女となった家であった。
かわいがられてはいたものの
両親と離れて暮らしていた母には寂しさもあったのだと思う。
そんな母にとって
ご夫婦とお子さんとの暮らしは幸せで温かいものに思え
憧れでもあったのではないかと思う。
後にそのご家族のご主人は社長さんとなられたと聞いている。
このお裁縫箱を見ると
母から聞いた話をともに昔の暮らしぶりを想像することができる。
当時は家族で間借りをして暮らすということも
そんなに珍しくはなかったのかもしれない。
今もまたシェアハウスが少しずつみられるようになっている。
昔とは事情が違うかもしれないが
一つ屋根の下に暮らすということは
ステキな出会い、つながりを生むものだと思う。
このお裁縫箱を見ると
母のテシゴトを思い出す。
私が子どもの頃だから
母がお裁縫箱をいただいてから
20年くらい経たころだ。
我が家は田んぼや畑を作っていたから
母はお天気の日はほとんど外の仕事をしていた。
外のお仕事をしない日は
いつも母はこのお裁縫箱とともにいた。
母のテシゴトは
今では家庭ではなかなか行われないようなものもあった。
例えば、布団の打ち直し。
布団の真綿の表の布を洗って、真綿はお日様に干して
もう一度布をかぶせて太い針で綿と布を縫い付けて
長年使っていた。
シーツも洗うけど、1年に1回布団の布を洗っていた。
とても乾燥した天気のいい日のテシゴト。
あと、お米が一升入る袋を
いろんな布を継ぎ合わせて作っていた。
ご近所さんやお寺さんなどにお米を持っていくのに
使っていたように思う。
ジップロックで渡されるよりも嬉しいかも。
洋服の布のほころびを直したり
ボタンを付けなおしたり
母は毎日あれこれお裁縫仕事をしていたことを思い出す。
だんだん外の仕事もそんなにできなくなると
母のテシゴトも変わってきた。
着物を二部式着物に改造して
普段着にしたり
パッチワークの小物やバッグを作ったり・・・
お裁縫箱はずっと活躍していた。
母の作った小物を見ると
ていねいで几帳面だった性格がよくわかる。
子どもの頃の私は
お裁縫箱には、はさみや針、糸などとともに
色とりどりのボタンや、小さな布切れなど
私には魅力的なものがたくさん入っていて
母がお針仕事をしている横で
中をのぞくのが好きだった。
今は私が母のお裁縫箱はリニューアルして
ちょこちょこ手縫でも小物を作るようになった。
縫い目が不ぞろいの手縫いは
味があり、その人の好さが伝わる気がする。
刺子や刺繍やパッチワークなど
根気のいるテシゴト。
細々したものを自分のお気に入りの布で作っている。
母の着物で作った巾着は叔母に喜んでもらった。

色の合う布を探したり、きれいにできあがるように工夫したりするのが
楽しかった。
プロのようにきれいな仕上がりは無理だけど
丁寧に一針一針出来上がりを想像しながら縫いあげる。
母のおかげでこんな楽しい時間を
手に入れることができた。
ありがとう。

